ピアノよもやま話 − ピアノ再発見のために(5)


5 自動ピアノ

 ピアノのことが最近立て続けにテレビに取り上げられました。

 一つは“上を向いて歩こう”と題して、作曲家の中村八大氏の生涯とともに所有するピアノが替わっていった話。
最初はモートリー(中国製。彼は中国の青島の学校の先生の息子として生まれている)に始まり、終戦後は日本でジャズピアニストとして活躍し、
次に求めたピアノがブリュートナー(ドイツ製)の竪型ピアノ。
そのピアノから“上を向いて歩こう”“こんにちは赤ちゃん”等の名曲を一番たくさん生み出したということでした。

 その後、ヤマハのグランドピアノ(C−3)に買い替えていますが、大病にかかり思うように音楽活動ができない中、再起をかけ楽器店に向かい、
ベーゼンドルファーに出会ったというお話です。世話をした調律師が、あのジャズピアニストがベーゼンドルファーを前にして
モーツァルトのソナタを上手に弾いた、と感心していました。その番組に同席していたジャズピアニストの世良さんが、
私もいずれお金を貯めてあんなピアノが欲しいともらしていましたが、ちなみにそのピアノはベーゼンドルファー 225で、当時(10年前)860万円、
現在890万円です。また、八大氏は購入した後5年で亡くなっています。残念!!

 次に、もう一つのテレビは「たけしの万物創世記」です。
まず、簡単にピアノの歴史から始まり、ピアニストの代表としてリストを取り上げ、彼の手の大きさや強靭なタッチについて、また、
新曲がピアノの構造を変えていったということなど、何といっても映像と音が伴っているので、判りやすい話でした。

 音の感じ方が国民によって異なること(日本人はドとレの間が狭い)等とか、更に胎教にまで話が及び、環境による影響にも触れていました。
例えば、ベートーヴェンを聞かせると、まるで指揮をしているように活発に動き(例のごとく第9シンフォニーの合唱のある激しい部分)、
サンサーンスの「白鳥」を聞かせると、じっとして眠ってしまうというのです。確かにお腹の中でも直接聞こえているようですが、
その音楽が音として快いものか不快なものかと感じるのは、むしろ母親だろうと思うのです。
もちろん人間ならずとも他の動物や植物にまで影響を与える話は聞いたことがあります。そこで胎教の典型的な例をお話ししましょう。

 昭和20年8月、日本は終戦を迎え、その年の12月に私の弟が生まれました。
生後1年半程たったある日のこと、私たちの町では、昼の12時の合図にサイレンを鳴らし始めたのです。
それまで機嫌良く遊んでいた弟が、その音を聞いて突然怯えて泣き出したのです。私は、何故?と一瞬思ったのですが、すぐに理解できました。
あの音はお腹の中で空襲の度毎に何度も聞いていたのです。これこそ胎教なのです。
音だけでなく、その音の意味することまで教え込まれているのです。

  音楽家の家系としてよく、バッハが引き合いに出されますが、一つは胎教にあったとなると、むべなるかなという気がします。
ピアノの音に限らず、祭りの太鼓の音やリズムでも、胎児が聞いたその音を母親がどう感じたかの方が問題なのです。
それでは生まれてしまった後の環境はどうなのか、もちろんこれも大切です。
そこから先の話は次の機会に、また別の角度から考えたいと思います。

 先日、ある産婦人科のお医者さんが、私の工房の自動演奏装置付きのピアノ(スタインウェイ・ルイ16世モデル)をご覧になり、
これを病院のロビーに置いて妊婦さん達に聞かせたいと計画を立てておられるところです。
最近は病院であれ銀行であれ、あらゆる所で有線放送を備え付け音楽を流しています。
それぞれお客様に対する良い環境作りのためにサービスをしているのですが、その功罪の程はいかがでしょう。
私の話が我田引水になってはいけませんが、本物に触れるという点では、胎児に与えるインパクト(音量ではなく)は全然異なると思います。
まず、親が感激することが大切なのです。

 今回は、その自動ピアノをテーマにするつもりでいたのです。自動ピアノと言っても、現在、デパートや楽器店に並んでいる
電子楽器とは少し違います。
これからご紹介する自動ピアノは、別名ポンププレイアーと言って空気圧で鍵盤または直接アクションを動かせて音を鳴らす仕組みです。
起源は数百年前のストリートオルガンやオルゴールに見ることができます。

 ここでまず断っておきたいことは、自動演奏機と言えば、その後生まれた蓄音機や現在の電子機器と同様に、
録音を忠実に再生するためのもののように思われていますが、ここにも発展の過程があって、
再生の際に人間が一定程度関与できる中間的なものもあるのです。実はそれが色々な意味で一番良かったりもするのです。
より便利に、より安く、より忠実にを求めることでかえって本質から離れていってしまう、
進歩が必ずしも進歩になっていないケースは他でもよく見受けられることです。

 私が最初に自動ピアノに触れたのは今から20数年前、京都の旭堂楽器店の持ち物でキンボール(KIMBALL、アメリカ製)という
新品の小型のアップライトピアノでした。長い間大丸に貸し出されていたため、新品とは言えないくらいハンマーも減って
全体の調整もやり直さなくてはならない状態でした。
自動ピアノとして機能する部分が65音(AA〜cis4)だったのでがっかりしたのを覚えています
(88音用があることを知らなかったので中途半端なものという印象を持ったのです。)

 その何年か後にあるピアノ倉庫で、やはりアメリカ製の大きな背丈の自動ピアノ(MILTON、竪型の自動演奏装置付き88音用)を見つけました。
88音用のものもあったのです。昔、あるお金持ちからタダ同然で引き上げてきたものらしいのです。ロールも30本くらいあったでしょうか。
「六段の調べ」(ヤマハ製)なるものもあり、昔はヤマハでも作っていたらしい。
このピアノを買ってくれ、と言われたものの直し方も判らないし、先輩に相談したところ彼は見向きもしません。

 ピアノ修理の道ではベテランの彼でも、自動ピアノでは過去によほど懲りた経験があるのでしょう。
70年程前のアメリカ製のやたらと大きい楽器で、楽器自体にはあまり魅力はなかったのですが、そこにあるロールを見ると、
それは魅力的な曲がそろっているのです。例えば、ローエングリン(リスト編)とか、クラウディオ・アラウの弾くシューベルトとか。
こんなのが本当に演奏できるのだろうか、一体どんな仕掛けなのか、これを解明することは
西洋人の音楽観に直に触れられるような気がしてきたのです。
やってみるものです。その結果は、というと、緻密さ、合理性と同時に、音楽の楽しさ、そしてファジーな部分を存分に教えてもらうこととなりました。

 最初に空気の圧力でアクションを動かすと言いましたが、その圧力とは吸う力であって、吹く力ではないのです。
従って、掃除機でも間に合うことになります。足踏式ポンプは、その踏み加減で吸引力が変わります。従って、多少表情もテンポも変わります。
それに手許には、高音部(中央のドから上)・低音部の強弱やテンポの調節が出来るコントロール・レバー、クレッシェンド・レバー、
ラウドペダル・レバー等が付いていて、自分なりの色付けができます。それをうまく使いこなすのは大変です。
なかなか二度と同じ演奏はできませんが、それはそれで面白いものです。

 その後、ペダル式に加えて(平行して)バキュームモーターが出現します。モーターは吸引力が一定です。
そこで一番問題になるのは、表情(ニュアンス)と息づき(テンポルバート)です。
そして、同時に鳴らした時の音の中からメロディー(テーマ)を浮き立たせること、要所要所のアクセントをつけること等が必要ですが、
音量の変化も32通りと普通の人間の感覚以上のレベルです。それをコントロールするエキスプレッション・ボックスというものを
取り付ける必要が出てきました。(一部、エオリアン社製の足踏式プレイヤーにも簡単なものが付いています。)

 その仕組みの微妙で複雑なこと、そこに配られた神経の繊細さとその裏に潜む意味を見出す度に彼らのあくなき音楽への情熱と文明、
文化の高さに感心させられます。これを 100年あるいはそれ以前に考え出したと思うと尚更です。
これで実際の演奏を忠実に再現することができるようになったのです。
そして多様化する使い方に応えられる3段階のプレイポジションレバーが付いています。

(1)ノーマル:演奏者の演奏を忠実に再現する。
(2)ソフト :バックグラウンドミュージック用(繰り返しレバーも付いている)
(3)ラウド :広い場所やダンス等の場合

 誰でもがピアノを楽しめるということでしょう。連弾やコンチェルトだって一人で鳴らせるのです。
また、ロールに歌詞まで書き込んであって、側で歌えるものもあるし、強弱やテンポの指示もしてあります。

 もちろん最終的な狙いは一流の演奏家の再演です。今は亡きアーティスト、ガーシュインからラフマニノフ、プロコフィエフに至るまで、
100%ではないにしても“ホンマカイナ”と思わせる面白さがあります。

 1840年、クロード・フェリックス・セイトル(フランス)という人が考え出したと言われている自動演奏装置が、その後イギリスに渡り、
ドイツを越えて今世紀初頭にはアメリカで爆発的発展を遂げる、その開発競争は止まるところを知らず、
鐘や太鼓、更にはヴァイオリンまで組み込んだものまで出現しました。名付けてオーケストリオン。
人形を動かし、風景を描いたステンドグラスに光を当てつつ、朝夕昼の演出に至っては笑ってしまいます。
ここまでくればもう確かにマニアの世界です。

 日本での感覚では、昔のものは非能率的で劣っていて、一部のマニアの骨董趣味くらいにしか思われていません。
自動ピアノはこのハイテク時代に今もって世界で愛用され、次々と新しいロールが製造されているにもかかわらず、
日本では見向きもされないというのは何故でしょう。
私たちが日本で目にする自動ピアノは、いつも電子楽器で、今まで述べてきた機能が随分そぎ落とされています。
電子楽器の自動ピアノは、すぐに飽きられ、ピアノを買ってからせいぜい半年でフロッピーを買いに来なくなるとも聞きます。
面白くないのです。(使用したピアノ自体にも問題があるのですが。)

 本物の自動ピアノのことを知らない、技術者がいない、かつてはヤマハも製造していたはずなのに、その技術が伝わっていない。
もう一つは機械的なものに対するアレルギーがあるのでしょう。機械、即ち無機的、即ち玩具、即ち邪道。
日本の華道、茶道、剣道、武道等、どれも一つの道を究めるためには相応の苦労をして、人間の手でもって克服されるものであって、
機械によって克服されるものではない!!

 ごもっとも…アレーやはりだめか、残念!!

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