ピアノよもやま話(9)


ピアノは調整次第 その2


今回も私の経験からお話しますが、20年以上も前の事小さなホールに持ち込まれたヤマハグランドピアノ(G−5)の調整をしました。
ピアノの先生がドイツ製のようなタッチになったと云われました。どういう意味なのか、私には判りませんでした。
或る日の事、友達が電話をしてきました。「今音楽会の調律をやっているんだけど、ピアニストがタッチの事で、
コンクリートフロアーをラバーフロアーにしてくれって云うんやけど、どういう意味やねん。」
そのピアニストは外国から帰ってきたばかりの方だったようです。

私の家内などは、私の家のグロトリアンのタッチはフニャッとしていてイヤだと言います。
彼女は私と結婚するまでは、ヤマハと2・3の国産品それに古びたアメリカ製しか触った事がなかったようです。
いずれにせよ、タッチというのは鍵盤の深さと打弦距離レギュレチングスクリューの調節、バックチェックの距離、2・3箇所のスプリングの加減、
ダンパーのタイミング、鍵盤の重さ等の兼ね合いで成り立っているのです。
グランドピアノはそれにドロップスクリューの調節とリピテションレバースクリューの調節、ジャックとロールの前後関係が加わります。

それらを調節する上での一応決められた基準寸法は有るのですが、材質により微妙に変わってきます。
しかもコンマ1ミリの仕事を目測で行います。
例えば鍵盤の深さ(ストローク)は10ミリ前後と決められていますが、その調節をする紙の厚さは1ミリ〜0・05ミリまで数種類あるのです。
スプリングの調節も手加減なのです、相手はフェルトや鹿皮厚さも固さもまちまち、順目と逆目もあります。
抵抗のかかる部分には黒鉛などを塗ります、
塗り方でもタッチは変わります。何れにせよ88鍵の弾きここちがばらばらではいけません、揃っていることです。
といったわけで最終的には調節する人の好み、或いは感覚で結果は随分違ってきます。
更に音もタッチに影響します。つまり耳から来る印象で、それは音量と音色なのです。
つまり同じピアノでも調律師の音楽的趣味と技量によって左右されます。調律師はそれぞれ自分の好みの音とタッチを持っています。
又それが最高だと思っております。でなければプロとしての、仕事のお代を戴くわけには行きません。
ピアニスト或いはユーザーの方と趣味が合えばこの調律師は良いということになるのです。
十人十色と言います、全ての人に気に入られる調律師は居ないのでは無いでしょうか。
勿論ユーザーがどの様な音やタッチを望んでおられるか、仕事を始める上で相談はします。
私の場合、お客さんが私を紹介してくださる時、「彼は私の言うとおりにしてくれる」と云うんだそうです。
と言われても自ずと限界は有りますが・・・・。
食べ物でも或いは車でも、どの世界でも同じ事が云えるように思います。

やはり30年ほど前の話になりますが、ハラシェビッチの調律をした時の事です。ショパンコンクールで1位を取り間もなくの頃だったと思います。
甘いマスクの彼は、けっこう自意識過剰のところが有って、というか冗談めかして、「もっと、明かりを暗くしてくれ、でなければ皆さんは
僕の顔ばかり見て音楽を聴いてくれないから」なんてリハーサルの時にのたもうておりました。ちょっとミスタッチも有りましたが、
それは和やかな音楽会でした、私はその時改めてショパンがピアノの詩人と言われていることが、なるほど、と実感しました。
アンコールも「何がいい?」と観客に直接聞いているのです。すると観客の一人がリクエストすると「アーそれさっき弾いたじゃないか」
と笑って又弾き始めました。その時のアンケートに「ショパンの悲壮感がなかった」というのが有ったそうです。

私の整音はあくまでもヴォイシングつまり人間の声をモデルに心がけているので、尤も人間の声といっても金切り声というのもありますが、
私の趣味としてはあまり好まないのです。わたしの趣味と言っても誰にでも押し付けている訳では有りません。
一応リハーサルで確認を取るのが常識です。そこでOKを取れば後は何が起ころうと調律師には一切責任は有りません。
私はショパンのワルツやノクターンからあまり悲壮感は感じないのですが、まあ敢えて求めるとすれば、2番のソナタでしょうか。

もう一つよく聞く言葉に迫力というのがあります。評論家もよく使います。
絵とか彫刻などを見て迫力と言うのは良いのですが音楽に使うとどうしても、
大きな音で速く弾く事になります。それより説得力と言ってもらった方が解かり易いと思うのですが如何なものでしょう。
例えば「悔しい」というフレーズをPPとFFで表現したとき、どちらの方が説得力が有るでしょう。
PPの方が本当の悔しさが伝わって来るような気がしませんか?如何なる時でも強調する時には金切り声のFFで表現されると
反ってしらけるのは私だけでしょうか。

ソコロフというピアニストが来た時の事です。18歳でチャイコフスキーコンクールで1位を取った神童と言う触れ込みでした。
会って見たら2メートルも有ろうかと思われる百貫デブ、まぁ、力の限り鍵盤を叩きまくり、
リハーサルの時「音が割れる、」とクレームを付けるのです。
「そんなに叩けばどんなピアノだって割れますよ、」と言うと通訳の人が昨日神戸で演奏したときは、弦を5本切ったなんていってましたが、
当時神戸のコンサートチューナーと言えば、A氏で彼はフワフワの音にする事で知られていました。私は私なりの限界を持っていましたから、
「そんなことは出来ない」と言うと通訳の人が「この人はドイツ語も喋れるので直接話してくれ」と言われ、
「そんなに叩くな!」と関西弁でいってやりました。
本番はチャイコフスキーのピアノコンツェルト、叩くなと言う方が無理かもしれません。しかし、弦は一本も切れずに、中々いい演奏でした。
そしてなんとアンコールにショパンのノクターンを弾いたのです。それはそれはとってもやわらかいタッチの美しい演奏でした。
(なんや、わかっとるやんけー)

自宅に小さなホールを持ってピアノを2台据えて、そこそこ著名な音楽家を招いては演奏会を開いている人が居ました。
そこのオーナーが、何故私に連絡してきたのかよく判らないのですが、急遽呼び出されて調律をしろ、と云われました。
「古典調律でお願いします」
「えー 古典調律なんて理論は知ってるけどやったことないし、キルンベルガー?ヴェルクマイスター?ヤング?
なんや他にいっぱいあるけど、どれにするの?」
「これ2台とも古典調律なんやけど、狂っているて云われたけど、どう思う?」
「1台は理屈に合ってるけど、も一つの方は訳判らん無茶苦茶やね」と言うと、それぞれ調律師が違ったらしいのです。
名前を聞くと“さもありなん”とも思いましたが、そもそも、オーナー自信が変わった人なので、類友といったところです。

「どーしても、と言うのなら、今から息子に資料をファックスさせるわ」と言って電話をしました。直ぐに資料を受け取ったのですが、
その時になって「平均率でいいわ」なんて言い出したのです。
私にはあまり馴染みの無い外国人のクラリネット奏者とピアニストでした。
調律が余程気に入ったのか、本番の始まる前に客席に居る私を指名して立たせてお礼をされました。
あんなことは、後にも先にも初めての経験でした。

実は前回同じ人の演奏会を古典調律でやったとき狂っていると言われて、今回又同じ事をするので、ひどく怒ったそうなのです。
だったら尚の事、初めから平均率でしてくださいと言えばいいものを・・・
オーナー曰く。「古典調律も慣れれば良い味がするんですよね」
「あー、そうどすかぁ・・・・慣れればネェ・・・?」


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