ピアノよもやま話  11

今回はチョッと異質な話

私はこの道に入って今年で満52年になり、昨年古希を迎えました。
しかし、未だに新しい発見に驚いたり、考え込んだりの毎日です。それにしても長生きすると人生には色々なことが有ります。

今から六年前の事、二年毎に催される楽器フェアーに出品しました。
場所は東京池袋のサンシャイン近隣の催し場。
当時あまりの不景気に店を閉める覚悟で、やり残した事がないようにと、最後の手段として全国区に名乗り出たのです。

私の工房で修復したピアノばかりを三台、何れもニューヨークスタインウェイばかりです。

スクエアーピアノ1877年製、
足踏み式自動付き竪型ピアノ1912年製。
電動式自動付きグランドピアノ、ルイ16世モデル1927年製、

その時の反応は、アメリカ経由で「ピアノの修理は斯く有るべし」と言うものでした。インターネット時代ですね。
その時に知り合ったM氏が、若いながら昔のピアニストや作曲家の薀蓄に長けていて、その後私の所が日本一面白い所だと言って、何度も来るようになりました。

その4年後、横浜の「港みらいパシフィコ横浜」に場所を移してフェアーが催されました。その時の出品ピアノもやはり三台

前回出品した1912年製、足踏み式自動付き竪型ピアノ。ニューヨークスタインウェイ
1864年製、平行弦竪型ピアノ、エラール(フランス)
1925年製、90鍵(エクストラベース付き)フルコンサートピアノ。エラール社製

この時も他店とは少し変わった毛色に見学者は戸惑いつつも何人かの方が興味を示して下さいました。
エラールと言う名のピアノは先ずロゴが始めての人には読めません。従って一般の方には、変ったピアノであり、
少し聞き覚えの有る方は骨董品にしか映らなかったようです。

しかし、私の考えは違います。このピアノこそ究極の芸術品であり、西洋音楽の原点と位置付けて一生懸命宣伝しました。
唯、見せるだけではもったいないと思い、フェアーの終わった2日後に神奈川県民ホールで演奏会をしましたが、400人定員の所、
お見えになったのは80人でした。

その時出品した1864年製の縦型ピアノを私から買って下さった方の弁を借りますと
その音を聞いて「人生が変った」とまで仰いましたフェアーでは他にも色々な方がこのエラールを絶賛して下さいました。
中にはピアノ技術者の方もいて、連打がしやすいと感心していました。
技術者、ピアニストを問わず現在のピアノがあらゆる面で性能の進んだものと言う前提で80年前のピアノを見た時、
音量もタッチも現代のものより劣っているという、先入観で見てしまう所が有ります。

電子時代に入った昨今あらゆる機器が日進月歩どころか、分、秒単位で進歩を続けている電気製品や自動車等と同じ感覚でピアノも捉えている現状では、
30年と言えば古く、戦前と言えば大昔100年前と同じで、200年前となると、電気も無い時代のこと、全てが稚拙で劣っていると思い込んでいるのも、
無理からぬことではありますが、何より私にとって一番残念だった事とは、
神奈川県で音楽会を開催するに当たりフランス大使館や日仏会館に呼びかけたのですが、一切反応が無かったことです。
私費を投じて、京都から横浜まで出かけていって、フランス文化の真髄を披露していると言うのに・・・、
フランス人自身が日本人と同じように、エラールピアノの価値を知らないのか、日本人が蘇らせられるなんて不可能だと思っているのか、
商業主義万能時代に、私のような馬鹿な人間が居るとは考えられないのでしょう。

或る人から私のやっている事は自己陶酔と言われたことがあります。
所詮芸術の世界というのは独善と偏見の世界とも言われております。私としては決して押し付けているつもりはないのですが・・

以前にピアノは作曲家と演奏家と製作者が切磋琢磨して発展してきたと言いました。中でもベートーヴェンとリストはピアノを壊す名人と言われていたとか、
リストなんぞは演奏会の終わった後で調律師が「是は即死、是は瀕死と言って壊れた部品を数えるのが仕事だった」と言います。
ベートーヴェンも音量と音域を厳しく求めたようです。従ってピアノの音域の発達はベートーヴェンの曲を見れば分ると言います。何時も彼は音域を目一杯使ったのです。
ショパンのノクターンはソフトペダルが開発されて生まれたと聞いております。
それにしても、出来立ての楽器を即座に使いこなすとは、天才とはいえ凄いですね。

この二度の出展で新しい出会いがありました。
遠い所から京都までわざわざ訪ねて下さる方が増え、私の行動範囲も一気に広まりました。
伝統を重んずる京都では、老舗の力が強すぎて、いくら良い仕事をしても信用されません、それでも何とか仕事が続けられたのは、
一部革新的な人達に認められたお蔭でした。一昨年の横浜でのフェアーの後、特に、エラールに興味を持たれたお客さんに共通したものを感じました、
それはアンチスタインウェイだったのです。

日本の横並び思想が、ピアノと言えばヤマハとスタインウェイが常識と言わんばかりに、何処の演奏会場も其れに倣っています。
しかし、少数派とは言え少し位はそれに反旗を翻す人も居るのではないかと密かに期待を込めて出品したのでした。
流石関東ですね、何人かの人から共感を得て、漸く私の仕事が認知された思いでおります。

しかし、スタインウェイが悪いと言っているのでは有りません。ヤマハは日本の代表ですから、備えておくのは当然です。
でも、仮に両方備えてあった場合はどうでしょう、大方スタインウェイを使うでしょう。
片方がヤマハでなくて、ベヒシュタインであっても、ベーゼンドルファーであっても或いは、エラールであっても同じです。さて使うとなるとスタインウェイになるのです
多くの日本人は、物の良し悪しを権威に委ねます。特に京都の風土がそうなのです。
自分で判断しないのです。「十字屋さんに任せといたらよろしおすがな・・・」
学校(公立、私立共)の大半、ホール(公私共)の大半、従って一般の家庭も市場占有率が、50パーセント以上が十字屋と言うのですから
異常な町としか言いようがありません


例えば、或るホールで(公共)私の知り合いの先生が音楽会をしようと私に調律を依頼されたとします。するとその場に十字屋から番人が来るのです。
そして立会い料として現在は1時間三千円、昔は調律代と同額を先生に請求するのです。つまり、ユーザーは倍額払わされるのです。
それは、まるで、ヤクザの寺銭のようなものなのです。私が抗議をすると「ホールとの契約だ」と言い張るのです。

ホールに問い合わせると、「私達には調律師の上手下手が判らないので十字屋さんに任せているのです」という事でした。
つまり十字屋はピアノの定期点検も含めて一切の管理を請け負っているのです。つまり、日本国中、日常茶飯事に行なわれている、談合と独占です

ところが、これに対し私以外に誰も文句を言わない所が京都なのです。
私は「お客さんに払わなくて良い」といっておきましたので、払わずに済みましたが・・・
お隣の大阪の人にこの話をしたところ「そんなあほな・・・」と呆れていました。

ついでに、「そんなあほな話」をもう一つ
K高校の音楽室での事、私がグランドピアノの調律に取り掛かろうとしている所へ女性の先生が来て、
ピアノの不具合を自分のと同じ機種であるのに違う、となじり始めたのです。

確かにアフタータッチが少なくなっていたので、次中音のセクションだけ調整して隣との違いを見て貰った所、「判らない」と言う事でした。問題はその後でした。

先生 「グランドピアノなのに竪型ピアノの調律をする人が居るんですよねえー」
私  「エッ?・・・同じですよ、平均率だし、使っている材料も同じだし・・・」
先生 「違いますよ!!私はピアノの専門家ですから!!!」

と言ってそそくさと教室を出て行かれました。次回から二度とその学校からの調律の依頼は有りませんでした。


ピアノは高額商品と相場が決まっていたのも今は昔、「ピアノって何でそんなに高いの?20万円もするやなんて・・・・」
「中国製で20万位の新品があるそうや、浜松の業者が沢山仕入れたとか」
「エー、運送費や、付属品それに消費税も含めて其れで商売成り立つのか?一体いくらで入ってきてるんや、」
「今運送屋がピリピリしとるヮ、運送の最中に底板が取れたり鍵盤の棚板がもげたり、」
「そういえば私も去年経験したヮ、ペトロフの竪型を息子の家に運んだ時、棚板が腕木ごと、奥へめりこんだんゃ、
見ると腕木が紙で出来ていたのには驚いたね、仲間に聞いたら今はヤマハだって、カワイだって、ベーゼンドルファーだって同じさ、
この間なんか鍵が壊れたと言うので治しに行ったら、ネジくぎが効かないんでマイッタヨ、って言ってたナ」

「これからは、お盆に載せて運ばなあかんな・・・」

始めの中国のピアノを買った人は中国人だったそうですが、その後中国に帰ってヤマハのU−7の中古を70万円で買ったとか・・・
グローバル化したこの時代、国粋主義を標榜したところで世間知らずとなじられておしまい。
100年程前のピアノはきちんと直せば良くなるのになぁーやはり新品に対する信頼、安心と中古に対する不信、不安が大きいのでしょうね。
このピアノは良い木を使っていると説明しても良い木の意味が理解できないんですね。
それより、これはNASAで開発されたプラスチックです、と言った方が信頼されるのです。
ピアノは木の芸術品と言っても、鋼鉄の響きと思い込んでいる人からは、「何あほな事・・・」と言われます

整音をボイシングと言いますが人の声と思う調律師は殆んど居ません。「なんでやねん・・・」と言われるのがオチです
当方でピアノを試弾されて、殆んどの方は綺麗ですねと言いますが、その後何かしら物足りない顔をなさいます。
それは常に弾いているピアノと音もタッチも余りにも違うからなのです。
中には当方で修復したピアノを見て「簡単に弾け過ぎてとか、綺麗過ぎて気持ちよくて練習にならない」と言います。私はそんな時いつもこう言います。

「ピアノは弾きやすくて良い音がするように創っております」


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